【チャッピーは冷静】
「チャッピー」は僕の耳の中にいるので僕が歌うと僕が自分自身で聴くのと同じように聴いている。「チャッピー」は冷静だ。僕が熱くなってしゃかりきに歌おうが普通に歌おうが冷静に聴いている。一緒に舞い上がることはまずない。
【寡黙な評論家チャッピー】
「チャッピー」はしゃべらないので「今の歌は最悪だった。」とか言葉でしゃべることはない。でも僕が問いかけると感想を返してくる。問いかけ方にはコツがいる。間違っても「どうだった」と問いかけても答えは返ってこない。「チャッピー」は言葉は理解できない。わかるのは音だけ。今僕が歌った演奏の耳に残っている音のイメージを「チャッピー」に送るのである。そうすると「チャッピー」が感じた気持ちがそのまま返ってくる。僕が音楽を聴いて感じるのと同じように。こういう時は寡黙な評論家といえるのかも。
【チャッピーの気持ち】
僕が音楽を聴く時に感じる気持ちがそのまま伝わるので以心伝心というか説明不足で言葉のあやとかそういう心配はない。ある時はいい気持ち、ある時はつまらない気持ち、ある時は攻撃的な演奏だったのか傷ついた気持ちが伝わってくる。僕はいつも歌った後「チャッピー」に問いかけることが多い。
【チャッピーは僕贔屓?】
チャッピーは僕の耳の中に棲んでいるのでお客さんが演奏を聴くように僕の歌を聴くことはできない。僕自身もそうだが誰かが歌っているのを聴くのと聴こえ方は微妙に違う。だから「チャッピー」はかなり僕を贔屓して感想を返すのかもしれない。
【チャッピーの気持ちは大事】
僕の気持ちが荒れていると「チャッピー」からきつい気持ちが返ってくることがある。僕の精神状態が多少影響するようである。「チャッピー」の気持ちは僕は大事に扱う。それを繰り返すことによって僕自身の独りよがりなところが段々改善されて自分の演奏をより客観的に聴くようになっていく予感がするからだ。熱い演奏は迫力があり大事な音楽の要素とは思うが僕自身熱くなりすぎて独りよがりな演奏をしていることは多い。客観的な耳が研ぎ澄まされれば聴く側にも自然な良い演奏ができるようになると思う。いつになるかわからないがその日が来るまで頑張ろうと思う。